芥川賞作家であり、ノーベル文学賞候補でもあった井上靖の『おろしや国酔夢譚』を読んだ。
この本、只者じゃない。
初めてなのに読みながら既視感を覚えたのは、『十二国記』(小野不由美著)シリーズを連想したからだ。
十二国記のネタバレになってしまうので詳しくは書かないが、『おろしや国酔夢譚』は
リアル異世界モノ
の冒険譚といっても過言ではない。
読了後の感想としてはもう、
圧巻、そして痛いほどの郷愁
に尽きる。
あらすじ
1782年に伊勢湾から沖合に流された日本人の船乗りたちが、ロシア領の東の最果ての地に漂着し、大国を横断してサンクトペテルブルグまで行き、9年9カ月の時を経て日本に戻ってきた実話がベース。
当時日本は鎖国中。
一介の貧しい船乗りたちが海外の情報など見聞きすることもない時代。
そんな時代に、「異人の国ロシア」での出会いや別離を経験し、圧倒的な国力を見せつけられた大黒屋光太夫が、苛酷な生活に耐え抜きながらも、日本に生還するまでのようすをリアルに書いている。
読み終えたら誰しもが「こっ、光太夫ぅぅぅ…(泣)!!」となることまちがいなし。
これは作家の手による娯楽作品かと問われれば、その答えは
否。
これはもはやドキュメンタリードラマだ。
本書の読了後はタイトル通り、「ロシアという国の夢に酔ったような」感慨深い余韻にひたることができるだろう。
『おろしや国酔夢譚』の感想
この『おろしや国酔夢譚』は1966~1968年に書かれた作品だが、著者の想像による産物ではない。
大黒屋光太夫に関する資料は国内外含めてかなり多数に上っており、
- 日本に帰還した大黒屋光太夫の陳述書
- 光太夫を記したフランス人探検家のベストセラー
などを、井上靖が幅広くかつ、綿密にリサーチして内容を組み立てて行ったことがわかる。
光太夫のルートをグーグルマップに入れてみた
本書を読みながら、光太夫の漂流&進行ルートをグーグルマップに打点していった。

最初に漂着した先は現在はアメリカ領、当時はロシア領だったアリューシャン列島。
最西端のサンクトペテルブルグに行き、同じルートを戻ってから青矢印の町オホーツクからオホーツク海を縦断し、北海道へ帰還する。

メールで一瞬でやり取りできる現代と違って、手紙の返事をもらうまでに1年とか平気で待たされたんだよ
世界を知ってしまった光太夫たちの衝撃
ロシア人たちの造船、建築、鋳造技術に圧倒され、氷河がひび割れて溶けるさまを間近に見て愕然とし、なによりロシアの国土の巨大さに目を疑った光太夫たち。
彼らがいかに驚愕したかは、すでに世界を知ってしまっている私たちの想像をはるかに超えるだろう。
光太夫はこのときほど日本という国が小さく、しかも無欲に無防備に見えたことはなかった。
蝦夷の北方に広がっている大海域でいかなることが行われているか、自分たち六人の漂流民以外、日本人はだれも知ってはいないのである。
ちなみに後述する映画版では、緒形拳扮する光太夫が地球儀を見て、
「え、これが日本!?…小さい…!!」
と衝撃を受けるさまを見られる。



ゲームで例えると、ドラクエ1の世界がじつはドラクエ3の世界のほんの一部に過ぎなかった、って感じかな
世界のことをなにも知らない、知ろうとしない国、日本
日本に生還した光太夫は、日本とロシアとのあまりのギャップに苦悩する。
当時の日本は現代日本のお役所と通じるようなところがあって、とにかく形式ばっていておよそ人情味というものがない。
十年ぶりで訪れた母国であったが、光太夫には一切があまりにも形式的で空々しく思えた。
(…)
露都ペテルブルグの賑わいを見てきた目にはすべてがひどく貧しく空疎に見えた。
道路もみすぼらしかったし、風景も小さく、人間もまた同じであった。
確かにここに書かれているのは「日本」という国の単位だけれど、
「壁を作って自分の世界だけで生きている人」
というのはけっこう身近にいるのではないか。
こういう人は「傷つくのを恐れている人」でもあり、「知ることを怖がっている人」であるとも言える。
この鎖国日本がまさにそれ。
ロシアをほめちぎると日露関係にあつれきが生じることを恐れた光太夫が、言葉を選びながら
「ロシア人は狭量で軍隊も強くない。日本の方がスゴイ」
などと心にもないことを言い、日本政府はそれを当然のごとく受け入れているのだ。



知ることをやめたらすべてが停滞する。人生と一緒じゃないかな
映画版『おろしや国酔夢譚』もぜひ観てほしい
小説を読んでいて思ったのは、
「これ、絶対映画化してほしいわ…」
ということだった。
そしたらなんとなんと、
すでに映画化していた
ではありませんか!!
1992年の作品で、主演は緒形拳。
緒形拳が光太夫とは…すごい納得。キャスティングがすばらしい。
映画の感想としては、
尺の都合もあって端折られている部分もあるけれど、小説を読んでイメージしていたことが視覚的に補完されて、満足度120%
という感じだった。
旧ソ連全面協力の、実写による迫力満点の作品。
当然、CGなど使われていないし、本編の6~7割がロシア語で進む。
日本人の役者たちも、本物の光太夫たちと同じくロシア語で会話する。
およそケチのつけようのない内容だけれど、しいて言うなら



めちゃくちゃ面白かったので、あと1時間は欲しい!!
映画ならではの良かったところ
映画だからこそ臨場感があってよかったと思ったのは、
である。
吹雪の厳しさを見て凍えたり、教会の美しさを見てため息をついたりできるのは視覚情報があってこそ。
私が特に気に入ったのは、光太夫たちがラクスマンの仕事を手伝っているシーンだ。
地図への描き込みや印刷物の操作などを日本人たちがおのおの作業している。
ラクスマンの執務室の小物や家具なども見ていて飽きない。
もうひとつ印象的なのは、光太夫が日本に帰ってきたときの
ザ・江戸時代(鎖国中)
という地味さ。
鑑賞者はつい十数分前まで見せられていたエカテリーナ宮殿(現在のエルミタージュ美術館)や夏の離宮(ツァールスコエ・セロー)、絢爛豪華な衣装や馬車からの、
- 舗装されていない道
- 檻のような駕籠
- 堅苦しい地味な和服の役人たち
を見せつけられる。
この視覚的なギャップが光太夫が見たままの心境を私たちに伝えている。
ロシア好きとしては光太夫の足跡を辿りたくてたまらない
酔夢譚という響きのなんと美しいことか。
井上靖は日本に戻ってきた光太夫の内心をこう書いている。
この夜道の暗さも、この星の輝きも、この夜空の色も、この蛙や虫の鳴き声も、もはや自分のものではない。
(…)
自分はこの国に生きるためには決して見てはならないものを見てきてしまったのである。
日本に帰りたかった光太夫たちだったが、いざ帰ってみると、あのロシアでの日々にこそ郷愁の念を抱いているかのようだ。
この物語を読んできたならば、ここへ来て光太夫の感傷が痛いほどわかるだろう。
タイムスリップできるなら、光太夫に会いに行きたいと本気で思った。
伊勢には大黒屋光太夫記念館もあります!

