ノーベル文学賞の受賞作『イワン・デニーソヴィチの一日』を読み、魂が揺さぶられました。
読み始めると止まりません。
ページの中に吸い込まれていくような、すばらしい作品でした。
これは文学好きなら絶対に読んでみてほしい一冊ですね。
『イワン・デニーソヴィチの一日』 ソルジェニーツィン著
『イワン・デニーソヴィチの一日』はこのような方向けの小説です。
- まじめすぎて仕事や家事の手を抜けず、疲れやすい
- 人間関係にもやもやしている
- ときどき人生の目的を見失いそうになる
- ノーベル文学賞の作品を読んでみたい
- ソ連の強制収容所に興味がある
私が『イワン・デニーソヴィチの一日』を呼んだ理由は、ノーベル文学賞の受賞作品に目を通したかったからと、ソ連の強制収容所に興味があったからです。
しかし『イワン・デニーソヴィチの一日』を完読するころには、囚人である主人公の置かれた境遇や考え方が、現代日本で消耗している人たちにも役に立つのではないかと感じるようになっていました。
苛酷な環境で生き延びるには賢くあれ。
ときにはルールを破ってもかまわない。
しかしプライドだけは決してなくさないように。
『イワン・デニーソヴィチの一日』は、人間はどんな環境でも、自己肯定感をもって生きられるという証明なのです。
著者ソルジェニーツィンのプロフィール
アレクサンドル・ソルジェニーツィンは1918年にロシア南部で生まれました。
ロマノフ朝最後の皇帝ニコライ2世一家が処刑され、帝政ロシアが崩壊したのはこの前年にあたる1917年のこと。
その後、社会主義国ソ連が1922年に誕生しているので、ソルジェニーツィンの運命はまさにソ連の歩みとともにあったのですね。
公には創作活動など何もしてこなかった、いわゆる「ぽっと出」のソルジェニーツィンでしたが、なんとデビュー作でノーベル文学賞を受賞してしまいます。
受賞年 1970年
受賞理由「ロシア文学の不可欠な伝統を追求したその倫理的な力に対して」
そのデビュー作こそ、『イワン・デニーソヴィチの一日』なのでした。
なぜノーベル賞をとれたのか?
その理由はソルジェニーツィン自身の強制収容所体験、鋭い観察眼、禁じられていた政治批判にあったと思われます。
『イワン・デニーソヴィチの一日』を読むと、まるで自分が登場人物のひとりになったかのような感覚に陥るほど臨場感あふれるのは、経験していないと書けません。
また、これまで正しいとされてきた「スターリン体制」を非難する内容でもあり、これが社会的に大きな影響を与えたのでした。
『イワン・デニーソヴィチの一日』の概要
作品の背景
『イワン・デニーソヴィチの一日』の舞台は1952年、独裁者スターリン政権下の極寒の強制収容所(ラーゲリ)。
1945年、スターリン批判をした思想犯として有罪判決を受けた著者ソルジェニーツィンは、懲役8年の収容所送りになってしまいます。
『イワン・デニーソヴィチの一日』はこのときの体験をもとに書かれました。
自伝ではなくあくまでフィクションとしての作品ですが、まるでドキュメンタリー映画を観ているようなビジョンが脳裏に浮かびます。
概要
主人公イワン・デニーソヴィチ・シューホフ(以下シューホフ)は刑期10年のうち8年目を迎えているベテラン受刑者。
作品はシューホフが起床するところから始まり、タイトルが示す通り「囚人の目を通したとある一日のできごと」が淡々と進んでいきます。
強制収容所なんて聞くと「暗い、怖い、過酷」というイメージがありますが、『イワン・デニーソヴィチの一日』に関していえば、少なくとも鬱になる本ではありません。
シューホフの視点になって囚人たちの一日を追体験するわけですが、痛々しさや胸を裂かれるような息苦しい展開はなく、涙を誘う人間ドラマがあるわけでもない。
そこにあるのはどんな環境でも生き抜こうとする人間の計算力、賢い立ち回り。
「とにかく全力で生き残る!」という精神論ではなく、なるべく体力を温存したりうまく食事量を増やしたりと、いかに快適に生き延びるかちみつに計算しているさまが見られます。
外は氷点下の吹雪のなか、死ととなり合わせのシューホフがどんな一日を送るのか。
読後にはなんともいえない充足感があなたを迎えてくれるでしょう。
『イワン・デニーソヴィチの一日』のポイント
主人公シューホフたちがいるのは-20℃を上回っただけで「今日は暖かい」と感じ、時には-40℃にもなる酷寒の世界です。
現在でもアラスカやロシア北部の村では、人間の生活圏でそれほどの気温になる地域があります。
しかしシューホフたちがいるのは強制収容所。
防寒具や暖炉、食事などが確保できている一般人の生活圏と違い、『イワン・デニーソヴィチの一日』の舞台は着る物も食べ物も制限された環境です。
収容所内でも階級があり、とうぜん労働者の囚人は最下層、底辺の人間なのでした。
シューホフはこんな世界でどうやって8年も生き延びてこられたのでしょうか?
作品を読むにあたり、囚人たちがどんな服装でどんなものを食べているかに注目すると、よりリアリティーが増します。
とくに食事に関するシーンは描写が細かい。食事内容だけでなく、どのように「よりおいしそうな部分」を「いかに多く食べるか」頭をフル回転させているのがわかります。
少ない防寒着や十分とはいえない食べ物でも、賢く生きてやるという強い生命力をここでも感じられました。
じつは私自身、仕事で手を抜けない真面目過ぎるのが欠点の人間でした。他人にも自分にも厳しくて、ちょっとの失敗も許せないほどの完ぺき主義だったのです。
しかし『イワン・デニーソヴィチの一日』を読んで思いました。
「バカ正直にまじめに」生きることがすべてではないのだなと。
シューホフたちとはちがい、私たちは仕事でミスをして殴られるわけでもなく、独居房に10日間入れられるわけでもありません。
『イワン・デニーソヴィチの一日』は善人のための教養本ではありません。
シューホフは生きることに貪欲で利己的ですが、やるときはやる、手を抜くときは抜く、付き合う相手の格を値踏みして利用できるものは利用する、そんな尊敬すべき人間くさいキャラクターです。
あなたが日常生活で何かに追われたり空気が張りつめてしまうようなときは、ちょっと手を休めて、シューホフのように賢く立ち回ってみてはいかがでしょうか。
こんな生き方もあるんだなという選択肢の一つになります。
まとめ
読み始めた当初はどのあたりがノーベル賞受賞の要素なのかわかりませんでした。
しかし読み進めていくうちに、まるで自分がシューホフになったかのような一体感を感じるほどの圧倒的なリアリティーに納得しました。
半世紀も前の本ですが、非常に読みやすいのも特徴です。
どんな悪い環境でも人間は適応でき、いくらでも賢くなれる。
時には手を抜いたっていい。
プライドを持って生きること。
『イワン・デニーソヴィチの一日』はあなたの生活にちょっとした変化をもたらすことでしょう。